小童寺・頼光寺・三ツ矢の塔コース
日生中央駅前→山原→素盞嗚神社→小童寺→一庫大路次川橋→川西北テニスクラブ→一の鳥居→三ツ矢サイダー発祥の地(ゴール)・・・お帰りは徒歩で平野駅へ
※午前中にゴールします
1 日生中央駅
2 三ツ矢サイダー発祥の地
施設詳細
※三ツ矢記念館の施設内の見学は行っておりません。
1884年(明治17年)「平野水」の名で販売された炭酸水が今の三ツ矢サイダーの始まりで、この地の炭酸水を使って瓶詰めされていました。
1881年(明治14年)、外国人理学者のウイリアム・ガランが、川西市の平野鉱泉から涌き出る炭酸水を分析し、「理想的飲料鉱泉なり」と賞賛しました。3年後、この炭酸水が瓶詰めされ、「平野水」の名前で販売されました。これは外国人向けの商品でしたが、後に香料や砂糖が加えられた「三ツ矢シャンペンサイダー」が登場。「三ツ矢サイダー」という通称で広告などが展開され、永く愛され続けるヒット商品になりました。
「シャンペンサイダー」の名称は、マドリッド協定批准を受けて、使用を中止し、1968 年に「三ツ矢 サイダー」に名称を変更しました。
明治の文豪、夏目漱石は持病の胃腸病の緩和の為か愛飲していたようです。作品中にも随筆『思い出す事など』や小説『行人』に「平野水」の記述が登場しています。
さて、「三ツ矢」の名はどうやってつけられたのでしょうか?
これは平安時代の中頃、源満仲が、城を作ろうと住吉大社に祈念したところ、ご神託によって放たれた鏑矢が多田・平野の地に飛来。この矢を探しだした男に「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えた、という故事に因んだものです。平野鉱泉を発見したのも源満仲との言い伝えもあり、源氏ゆかりの川西市ならではのエピソードとなっています。
この「三ツ矢サイダー」発祥の地である川西市平野に建つ「旧三ツ矢記念館」と「源泉地室」が、2019年3月28日に「川西市の登録文化遺産第一号に認定」されました。「旧三ツ矢記念館」のそばには「三ツ矢の塔」も現存しています。
所在地
川西市平野3-23-1
アクセス
平野駅下車、徒歩約5分
3 小童寺
施設詳細
源満仲が末子・美女丸の身代わりとなった幸寿丸を弔うために建立。室町時代の作と思われる「十三仏板碑」「無縫塔」や渡辺綱(わたなべのつな)の霊廟が残る。また、所有する「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」は国の登録文化財。(大阪市立美術館に所蔵)
所在地
川西市西畦野1-7-1
アクセス
山下駅下車、徒歩約30分
TEL
072-794-0253
4 頼光寺(あじさい寺)
施設詳細
祥雲山 賴光寺
源満仲公の夫人・法如尼の発願により、その子・源賢僧都(幼名美女丸)によって開基された寺で、本尊の地蔵菩薩は法如尼等身の念持仏であったといわれています。別名「あじさい寺」と呼ばれ、梅雨時には約500株の色鮮やかなあじさいが咲き乱れます。
・北摂七福神(寿老人)
※伝説上の人物で中国では福禄寿と同一視されています。長寿延命、病気平癒など。
所在地
川西市東畦野2-17-2
アクセス
畦野駅下車、徒歩約5分
TEL
072-794-1165
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